コミュニケーションのトレーニングに命がかかっている

先日、とある航空会社の機内誌で興味深い記事を読みました。

パイロットにとって「コミュニケーション」のトレーニングが非常に重要だというものでした。
命を預かる重要な現場において、正確な情報のやりとりは非常に大切だと。

日本語特有の「主語」を省いた文章など、受け取り方に幅が出て来てしまうようなものはパイロットのトレーニングとして徹底的になおされるそうです。

簡潔に正確に。

パイロットという極めて特殊な職業だけでなく、あらゆる職業で重要なポイントではないでしょうか。

「国語」のトレーニングとして是非重視したいものです。

これは「独特の文体の小説を味わう感性を養う」というものと反するものではありません。

2022年度から「論理国語」が高校教育において始まります。
これは「文学国語」と併設されるものなのですが、はやくもまるで文学国語が消滅して、授業が契約書などの読解で埋め尽くされるかのような受け取り方をしてしまっている方々の拒否反応が出てきています。

やはり、論理国語「も」しっかりと教える必要性を感じます。

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