公平な採点への執着

「記述・論述問題などを出題します」という方針が打ち出されると必ず、
「公平な採点は可能なのか?」「採点者によって判断が違うのではないか?」という声が出てきます。

我々はそろそろこの「公平な採点」への執着から逃れないといけません。
模範解答と一致すれば正解、不一致ならば不正解。そういう判断こそ公正で公平だ。そう考える人間にとって、就職活動なんて耐えられないでしょうね。ましてや社会人として世の中に、もっと小さく考えて目の前の人間に何を提供すればいいのか、どう応えればいいのかを考えることは出来ないでしょう。

完全な正解などありません。

今目の前にいる人やたまたま担当された採点者とは意見が合わないかもしれない。でも精一杯説明をする。色々な人と会ってみる。
「公平な採点が可能なテスト」は、そういう社会人としての必須の生存能力への橋渡しが出来ているのでしょうか。

「だって一生が決まる試験なんだから!」

という声もありますが、試験で一生は決まりません。
それは試験のための暗記しか取り柄のない人の思考です。