日本と海外の教育は、なぜ違うのか

「教科書」「社会」「自分」の学び

日本の教育と海外やインターナショナルスクールの教育の大きな違いの一つとして、どの分野の学びを重視するか、という点があげられると思います。

学びには、以下の3つの分野が存在すると考えています。

1「教科書が言っていること」を学ぶ
いわゆる普遍的な事実、または、そう認定されている事柄を知り、理解すること。

2「社会が言っていること」を学ぶ
常識や他人の気持ちなど明文化されておらず、「社会性」「社会通念」と言われることを知り、理解すること。

3「自分で考えること」を学ぶ
ある事象を目の前にしたときに、「自分ならどう考えるか」「それをどう説明するか」という力をつけること。

この3つの分野のうちどれを重視するのか、どれを教育の柱として構築するのか、組合せのバランスをどう組むのかについては、お国柄や地域によって異なります。

例えば、日本をはじめとしたアジア諸国では、「1」の学びと「2」の学びが重要視されています。その一方、ヨーロッパや北アメリカでは「3」の学び “も” 重視されている点に、違いが生まれるのだと思います。

「正解がない学び」への評価の難しさ

日本での教育についてお話すると、日本では「3」の学びが扱われにくい傾向があります。それは、3の学びについて学校で扱おうとすると「どうやって評価するのか?」という点で、批判や戸惑いの声が上がるからです。個々の考えはある意味自由であり、明確な採点基準を提示できず「公平ではない」と考える人が多いためでしょう。

このことから考えると、日本では、教育を「正解」する力を養うもの、という考えがベースにあると分かります。「自分の意見」を求める授業にするのではれば、「自分の意見」にも“模範解答”があると考えてしまいがちなのです。しかし、答え方や伝え方に模範解答があったとしても、「自分の意見」自体には模範解答はありません。そして、その評価は、採点者次第の側面もありますし、採点者とのやり取りの中で判断されることもあるのです。

日本では、「学校では、いつ、どこで、誰が見ても “正解” “不正解” を判定できるものを扱うべきだ」という風潮が強いため、自分の意見を考えて述べたり、ましてやそれが評価されたりするという学びは、扱われにくいのです。

実は、「目の前の相手」に評価され、その評価のためにどう動くかを考えることは、社会に出たら、大切な能力なのですが、それを学校の教室で行うことへの拒否反応がかなり強いというのが実感です。

3つの分野をバランス良く学ぶ

しかしながら、どの学びが、“良い” “悪い” という話ではありません。

欧米は、「1の学び」と「2の学び」に比べ「3の学び」を重視しすぎた結果、「独自の考えと理由をしっかり述べているけれど、事実に反するし、社会的には受け入れられない」という意見も目にします。また、そういうことを言う人に出会う確率は、日本に比べて格段に高いと言えます。

一方、日本では、学校の学びでは「3の学び」が手薄なので、社会に出て意見を求められるような場面で、「正解がないこと」に対応する力が足りず、力が発揮できないことも多く起きます。

大切なのは、この3つの分野をバランスよく学ぶことです。

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この3つの分野が存在することを認識し、バランスをチェックしながら学びを構築していくことが、これからの教育にとって必要なことであると思います。